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そけいヘルニア/脱腸手術の記録


脱腸 だっちょう、何て嫌な言葉なんだろう。

色白で髪の長い美少女が枯葉の散る風景が窓の外に見える病院のベッドで、
恋人に『私の病気は白血病なの』と打ち明けるシーンを昔のTVドラマで見たような気がするが、
これが『私の病気は脱腸なの』では、笑ってしまう。

そういえば数年前扁桃腺の手術で入院した時、出会った少女に『何の病気で入院しているの?』と
聞いたことがある。その少女は『だっちょ』とうつむいて小さく答えた顔に恥ずかしさと無念さが滲んでいた。
『あなたは?』と聞かれた時、『扁桃腺の手術で』と私は胸を張って答えたものだった。

私の脱腸を発見したのはお袋だった。心配したお袋は卸屋の山口さんに確認を頼んだ。
何故靴の卸屋の山口さんに頼んだのは定かではないが、8歳の私は物心ついて初めて家族以外の大人に
チン○を見せたのだ。

日の翳った裏の隠居屋で山口さんはチン○の横を長い時間触り、『こりゃーだっちょ〜ではないが〜』と答えた。
お袋は安心したが、 子供ながらに知っていた脱腸情報を総合しても私は自分が脱腸だと思っていたので
『いい加減なことを〜』と私は思った。山口さんは子供の私から見てもかるい感じの性格の大人だった。
人の良いお袋はたいへん喜び、お礼に酒の詰め合わせを山口さんに持たせた。
その後、山口さんは口頭がんの手術で声を失った。

あれから40年たった秋の午後、私は脱腸の手術台に寝ていた。

脱腸の手術をすると決心してから、ネットで調べてみたのだが、盲腸の次に多いと言われる手術の割には
実際手術を受けた患者側のページが少ないのに気づいた。
ほんとに簡単な手術なのか?手術後の仕事復帰にどれくらい必要か?術後の痛みは?
これは、48歳、脱腸歴40年男性が受けた手術の記録です。

まずは、私の脱腸の経緯について書いておきましょう。

6歳位のときチンチンの右側が少し膨れているのに気づく

少しづつ大きくなっていく気はしていたのですが、中学、高校と人並みにスポーツもして何の違和感もなし、

26歳の時結婚した奥さんが脱腸を見て<痛そう>と撫ぜられる。この時以前より明らかに膨らみが
大きくなっているのに気づく。奥さんの指摘の性か気にするようになる。

27歳・・・少し垂れ下がったような違和感が始まり、脱腸バンドを使用するようになる。

30歳・・・脱腸バンドを使用していれば日常生活には問題ありませんでしたが、バンドを外すのはお風呂に入る時、
寝るときしかなくなる。

36歳・・・長時間立っていると脱腸バンドをしていても少しつらくなる。〔腰が痛いなど〕

48歳・・・脱腸バンドからはみ出すほど大きくなる。その秋今までにはない痛みが始まる。

40年間大事に?育てた私の脱腸は、金玉の袋まで垂れていた。見かけは悪いが痛みはほとんどなく、
デスクワークの私は調子の良いときなどは自分が脱腸であることも忘れるほどだった。

ただ今年の秋は違っていました。11月に入って寒くなってきた頃から痛み出した。痛みは鈍痛、
場所は尾てい骨の内側、膨らみから6〜7cm上の部分、最初は盲腸かと思うほどの痛みだった。
2週間ほど我慢したが痛みは取れず、いよいよ手術しかないかと思い始めた。
『早く失術して自由(脱腸帯から)になったら〜』20年間妻に言われ続けた言葉が頭に過ぎる。

1番気にかかったのは医者選びだった。

私は九州の片田舎に住んでおり、田舎の医者と言うのは先生様扱いで、物言わぬ田舎のいい人達相手なので
それに事欠いて思い上がった医者も多い、

下腹が痛いので病院に言ったら盲腸だといわれ、盲腸手術を受けても痛みは取れず、結局は膀胱炎だったとか、
空咳続くのを慢性気管支炎だと言われ、長期『バクモントウ』という漢方薬を咳止めを処方され、
結局は肺がんでなくなったとかひどい話も多く聞くが、ほとんど公にいなることはない。

話が逸れましたが、医者自体、特に田舎の医者を信用していなかった私にとって医者選びは、大変な問題でした。

結局私が選んだのは、父の死に立ち会ってくれたT医者だった。
腕が良いにか分からなかった。
見かけもひどく良くなかった。
角刈りの頭は中心部がはげて、白衣の下はGパンによれよれのトレーナーといったイデタチで白衣を
着ていなければ、浮浪者のように見えるひどく貧相な医者だった 。

私が選んだ理由は、助かる見込みもない末期がんの父であったが、父が死んだ時、たまたま担当した
その医者は泣いていたのだ。私は医者が泣くのを生まれて初めて見た。その涙に賭けてみることにした。

※後日このT医師は患者さんにも人気のあるたいへんな名医だと分かる。

手術をしようと決意

2006
11月19日 診察

診察台で寝て、痛いところから金玉にかけて手のひらで押していく、その後、立って膨れ具合を診察、もちろんちん○は、丸出しであった。

T医師・・・立派な脱腸ですね。手術しないと直りません。

私・・・手術します。(観念した様に)  先生のご都合はいかがですか?

T医師・・・いつでもOKですよ。

私・・・腹膜を縫う方法とメッシュを入れる方法があるそうですが、私の場合はどちらが宜しいでしょうか?

T医師・・・開腹してから穴の具合を見て決めますが、おそらく年齢からしてメッシュを入れることになると思います。

私・・・私のような大きな脱腸でもメッシュで大丈夫でしょうか?


T医師・・・穴の大きさは関係ありません。従来の腹膜を縫い合わせる方法より、再発率が低く、痛みやツッパリ感も
     少なくて済みます。
     ただメッシュを入れる手術はまだ十数年前から始まった手術で術後長期間経過したときどうなるかなど
     はっきりしていないことも多いのです。また極めてまれに炎症を起こされる方もおられます。
     幸い私の手術した方の中にはそんな方はいらっしゃいませんが、、、念のため下腹部のCTを撮りましょう。

その日は術前検査と手術の日を決めて帰った。その日の支払い総額5000円

11月 20日 術前検査

内容

レントゲン、

血液検査、

心電図・・・心電図を撮るおばさんが無愛想だったので冗談を言って笑わそうとしたが、笑いを忘れた人なのか
        冗談が嫌いなのか、笑わない!

耳を針で傷つけてどれくらいで血が止まるかの検査
この検査もどういう訳か心電図の笑わないおばさんだった。
さっきの冗談で怒っていないかと針を持ったおばさんに〔お仕事たいへんですね〜〕とそぉっ〜とお愛想を言った。
それでも表情に変化はなく、その目はどこか遠くにいるようだ。

特に異常なし、  その日の支払い9000円 そんなことで手術日は24日決定した。


11月 24日 手術当日

9時に病院に入る。1時間ほど待たされ再度手術の説明がT先生からある。

T医師・・・切る所の近くに大きな血管もありませんし手術ですので100%大丈夫とは言えませんが、ほとんどリスクの
    ない手術です。私も後輩の実験台になって3年前にしましたが、失術後3日目から仕事に復帰しましたよ。
    ただ失敗したんじゃないかと思うほど痛かったですけどね。(笑)  

私・・・お任せします。よろしくお願いします。私も手術のことで冗談が言えるように早くなりたいと思った。

部屋(個室/1日4500円)に案内される。非常にわがままな性格なので他の入院患者さんにご迷惑をお掛けして
いけないと思い、個室にしたのだ。

色の黒い看護婦さんが来て<は〜い!まずは点滴をしますね。>

私<最後のタバコを1本吸ってからでいいですか?>

看護婦さん<タバコを吸うと術後がキツイですよ>タバコは断念する。

点滴が始まる・・・水分補給のようだ。、

次に首の長く異常に明るい看護婦さんが来て
<は〜い!浣腸しますね。できるだけ我慢してトイレに行ってくださ〜い。>

久しぶりに女性に尻の穴を見せる。10分も我慢できずに点滴をしたままトイレにいく。

最後にプレデーターに似た看護婦さんが来て<テイモウしますね。>

どこまで剃るのか分からないのでパンツを全部下ろし、チン○丸出しの大サービスにて剃ってもらう。
プレデーター椎名(後でプレデーターの看護婦さんの名前は椎名さんだと分かる)は真剣な表情で
剃っていく。<なかなか剃れませんね。アッ!歯が付いてな〜い。歯を入れてきますね、ファッ ファッ ファッ>

陰毛の彼方に11月の曇った空が見える。今から止めるとは言えないだろうな・・・
私は下腹部の毛は全部そるのかと思っていたのだが、テイモウは手術する右側だけでであった。

麻酔医の説明・・・麻酔を担当する亀田です。麻酔に関する説明を致します。

麻酔医<今まで麻酔をされたことはありますか?>

私・・・5年ほど前扁桃腺の手術で全身麻酔をしました。

麻酔医<今回の手術では脊髄に打つ麻酔になります。的確な場所に1発で針を打つには不可能ですので
神経を逸らしして何回か針をさしていきます。ピリッときたらそれは神経ですので教えて下さい。
それを避けて麻酔を打ちます。>一本調子のロボットのような言い回し、この場合はその方が安心する。

私はボォッ〜と聞いていたが、数十分後これが困難な作業であることを思い知らされることになる。

手術の準備が終わり、妻と雑談しているとその瞬間はいきなりやってきた。

<それでは手術室に運びます>

手術開始14時

パンツを脱がされ、手術着1枚になり看護婦さん4人に手術台に移された。そして手術室に運ばれる。
手術室は、明るく、清潔で迎えた手術室専門の看護婦さんも綺麗で(マスクで目しか見えないが、そう創造した)
気が利いてそうだった。私のような安全パイではない生死に関わる手術に何度も関わってきたのだろう。

さっきの麻酔医が現れ、それでは麻酔を始めます。
まず麻酔注射の麻酔をします。体を海老のように曲げ、脊髄を中心に注射をしていく、神経に針が当るだびに体が
意思とは関係なく痙攣する。麻酔をする場所が決めにくいようだ。
<まだですか?と言いたくなるほど>途方なく長い時間に感じられた。

<大事な所ですので動かないで下さい>目だけしか見えないが綺麗な看護婦さんが言った。
ほぼ同時にドロッ〜としたものが、脊髄から足の方に流れていくのを感じた。薬品が体に注入された思った。

局部麻酔といったら痛みだけ取り除くものの、体の感覚は残るものだと思っていたのだが、
私の下半身は消えたようだった。まったく感覚がなかった。

上半身と下半身の間を薄いカーテンで仕切られる。いつかエロビデオで見た<産婦人科医師の盗撮>で
見たのと同じ仕切りだった。上半身の意識があるので下半身の手術シーンが見れるわけだが、
それをできなくする心遣いだろう。腕は上腕部で手術台の固定、血圧計もセットされた。

手術は執刀医は1人かと思っていたのだが、T医師と外科の責任者2人での執刀だった。
麻酔の間2人は少し離れた場所で雑談をしていたのだが、用意が終わると漫才師が葬式にでるくらい
顔付きが変わった。漫才師のままでは不安だったので私は<良かった>と思った。

<始めます。よろしくお願いします。>T先生の声が響いた。

まずはタンパク質の焼ける匂い、電気メスで切っているのだろう。私自身の肉が焼ける匂いだ。
手術中は痛みはないが、麻酔のかかっていないへその周りに時々ツッパリ感がある。腹膜を引っ張っているのだろうか?
手術前にネットで調べた情報だと30分〜1時間程度で終わると書いてあったのがほとんどであったが、
時計を見るととうに1時間を経過していた。穴が大きかったからなのだろうか?

途中手術室外の看護婦さんが来る。他の患者さんの心臓のペースメーカーについての確認、
T医師が指示をだす。

再度同じ看護婦さんが来るペースメーカーについて、先ほどの指示ではよく分からない様子で
<先生来ていただけませんか?>

腹を開かれた私は<ふざけるな>と思った。動かない足でその看護婦を蹴ってやりたかった。
T医師も多少切れた様子だが感情を押し殺したまま<少し待っていただけませんか!>とその看護婦に言った。

途中2度ほど血圧の上が80を切った。出血の性なのかな?少し不安、麻酔のせいか意識も少しボンヤリ、
固定した腕も痺れてきたので指を動かしてみる。

手術開始から約2時間、<終わります>T先生の声が聞こえた。私<メッシュを入れたのですか?>

T医師<はい、メッシュを使用しました>

T医師<麻酔が切れるまであまり頭を動かなさいで下さい。頭痛がすることがあります。>

なるほど、それは事前調査のネットにも書いてあった。

手術終了16時10分

部屋に戻る

妻と妹、母が待っていた。しばらくしてT医師が来て手術の事後報告をみんなにしていた。

<脂肪を少し切り取り、腹膜の中に押し込み、筋膜にメッシュを縫いつけました。約20針ほど縫っています。>

妻<けっこう時間がかかりましたね?>

T医師<この程度の手術だと普通です。>

20針が多いのかどうかは分からないが、やはり他の脱腸患者より穴が大きかったのだろうか?

手術中の写真も持ってきてみんなに見せていた。

妻<脂肪はみんな捨ててもらっても良かったじゃないですか?冗談を言う>

T医師<脂肪も必要ですので全部は切り取れないのです>

さすがに私は写真は見たくなったのでそのまま休んだ。
3時間ほど寝ていたようだ。20時になっていた。水分補給だと思われる点滴はしたままだった。気がつくと妻がいた。

足の指と太ももあたりに感覚が戻ってきた。麻酔が切れかけているのだろう。

2時間後22時にほとんど麻酔がきれたようで、少しづつ下半身が動くようになった。

22時15分若いが厚化粧の看護婦さんが来る。
<おしっこはでたかな〜?>布団を捲ると気がつかなかったが、私はオシメをしていた。
オムツをとりチンチンに顔が付くのではないかと思われるほど熱心下半身を観察した看護婦さんは
<ウ〜ン 出てませんね。おしっこでそうにないですか?>

私は<いいえ> 

看護婦さん<11時(23時)までにでなかったら、管を通すして出しますね>

な、なんと!チン○に管を通しておしっこを出す〜〜

父が亡くなる前にそのような処置を見たことがあるが、モルヒネで意識の朦朧した父でさえ管を通される時
顔を歪めていた。あれは痛そうだった。私は大変なことになったと思った。
11時まであと40分なんとかおしっこを出さなければならない。

まずはベットでだそうとしたが、多少の尿意はあるが出る気配がない。チンチンの周りの麻酔が切れていない気もする。
次に妻に手伝ってもらいベットに腰掛け、いつもの態勢に近い状態にして試してみる。
チンチンの根元までは来ているような気がするのだが出ない!!

10時50分・・・さっきの厚化粧の看護婦さんがまた来る。<出ましたか〜>

<いいえ>暗い声で私・・・あと10分あるなんとか・・・最後の手段、○○に、ちん○を指すってもらうようにお願いする。
なんとチン○は立ではないか。感覚は戻りつつあるのだ。あと5分、でも出ない。
膀胱に手をやるともうパンパンになっている。もしかしてこのままおしっこが出ずに膀胱破裂と言うことになるのでは、
本気で心配する。脱腸手術の夜、膀胱破裂で死ぬなんてカッコ悪いを絵に描いたような死に方だ。

私は観念してナースコールを手にした。

<如何しました?>異常に明るい看護婦さんの声・・・

<おしっこが出ませんので管をと通して出してもらえませんか>

<は〜い>

ドアがあくと厚化粧の看護婦さんではなく、色黒のデブの看護婦さんが管と屎尿便を持って入ってきた。
<やりますね>管を通していく。膀胱破裂の恐怖のためか思ったほど痛くはない。管の先には屎尿便・・・

管を通したがやはりでない。<おかしいですね。出るはずなのですがね〜  押してみますね。>
膀胱の辺りを押す。出ない。少し横になって見る。そのときデブ看さんが嬉しそうに<出た〜>と言った。
見てみると管を通してわずかに黄色く色づいたおしっこが屎尿便の中に吸い込まれていく。

1リッター入りの屎尿便なのだろうか、8分目まで短時間で上り詰めた。

<屎尿便のお代わりがいるんじゃないかな>私はやっと冗談が言えた。

事実1本では足りず、お代わりの屎尿便も半分ほど埋まるほどおしっこは出た。これほど水が膀胱に入っていたんだな。
関心する。

12時・・・やっとおしっこの恐怖からも開放された私はベットでタバコを吸った。<もちろん病室は禁煙なのだが>

12時間ぶりのタバコと軽くなった膀胱の心地よさで眠りにつく。

1時過ぎ・・・下腹部の激痛。もちろん切った部分

看護婦さんを呼び鎮痛剤〔ロキソニン〕をもらう。痛みは2時、、、3時になっても痛みは引かなかった。

4時・・・再度看護婦さんを呼ぶ。<痛くて眠れないのですが、、、>

看護婦さん<座薬を入れてみましょうか>痛み止めの座薬をいれてもらう。

昨日からチン○、尻の穴見せ放題の大サービスだ。

5時前・・・ようやく痛みが治まってくる。

手術前にインターネットで調べた<メッシュを使ったソケイヘルニア手術>では日帰りもOKとか書いてあったが
この状態で家に帰っていたら大変だっただろう。それとも私の脱腸は異常に穴が大きく特別だったから
こんなに痛いのだろうか?そんなことを考えなながら、眠りについた。なが〜い1日であった。

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11月25日 手術の翌日  

8時前に起きる。寝たのは3時間足らずだ。座薬のせいか痛みは治まっている。
お粥に味噌汁、牛乳の朝ごはんが出る。昨日の朝は食べなかったので一昨日の夜以来の食事だ。
食欲はある。ほとんど平らげた。

9時半、T医師が検診に来る。ガーゼを取り、傷口を見る。10センチほど黒い糸で縫いつけているのが見えた。
縫い付けた周りは、かなり腫れている。〔高さ5センチくらい〕 消毒してもらう。

T医師<おしっこが出にくかったようですね。ベットの上ですから出しにくいですよね。>

ネットで調べた日帰り手術にも<自尿>を確認の上、帰ると書いてあったが、麻酔の切れた直後のおしっこは
苦労するする方も多いのかもしれない。

T医師<今日はなるべくベッドから出ずに安静にしておいて下さい。トイレまでは歩けるのであれば動いてもかまいません。
それと今日から5日間は抗生物質の点滴をします。化膿止めですね。>

朝の検診が終わってトイレまでに歩いてみる。トイレは部屋の中にあるので距離的には3メートルほどだ。
妻が来たので手を借りてベットに座らせてもらう。
自力で立つには立ったが、腰を伸ばせない。海老のような状態でしか立てない。腰に力を入れると傷口が傷む。
ゆっくり足を擦るように歩き、洋式便器に座った。今度はスムーズにおしっこが出た。

午前中は、その後点滴、ベットでは手術した右側を向くとと痛いので左側か上を向いていた。

午後、体温37、3℃ 微熱が出る。ほとんどベットから出ずに寝ていた。

夜間、それまで治まっていた痛みが出る。激痛に近い。今度は初めから座薬を入れてもらう。
1時間ほどで痛みはとれ、眠りにつく。

11月25日 手術の翌々日
昨日の微熱は治まっている。体温36度台、朝、検診と消毒、朝夕2回の抗生物質点滴、

ほとんどベットの中で過ごす。ベットから出るのはトイレのみ、まだまだ腰に力を入れると痛いので海老のように
腰を曲げて歩いている。患部にはなにかぶら下がっているような違和感がある。

食事はお粥などの消化の良いものばかり、手術後1回も大便がでなかったのでかる〜い下剤を処方してもらう。
術後はあまり下腹に力をいれない方が良いとの指示だった。数時間後、術後初めての大便がでた。

夜間・・・念の為、痛み止めを飲んで寝るような勧められる。1錠飲んで寝る。〔ロキソニン〕
その夜は昨日のような激痛はなかったが、時々太ももから患部にかけてひっ張られるような痛みがあった。

11月26日 手術後3日目
患部はまだかなり腫れている。ほどんど手術直後と変わらない腫れ方だ。
それと患部の少しの上に直径1、5センチ×長さ10センチくらいの棒のようなものが入っている。触っても痛みは
ほどんどないがコリコリしたような感じ、これはなんだろう?

T医師<金玉の袋の方は痛くないですか?>
私<いいえ>
時々そっちの方に痛みが出る方もいるそうだ。

この日は初めて部屋の外に出てみる。3日ぶりだ。30メートルほど行ったところに付き添いの方などの
休憩室があるのでそこまで歩く。患部は痛みはなかったが、20数年年間脱腸バンドなしであるいたことが
ほとんどなったので、不安な感じと初めて体験するような違和感、違和感とは患部に何か貼り付けたような感じ、
体の中に脱腸バンドをしているような、、、実際メッシュを筋膜に縫い付けているのだから無理もない。
なるべく姿勢を良くして腰や患部の負担をかけないように歩いてみた。腰を伸ばすとやはり患部が痛い。

20坪ほどの休憩室にいくつかのテーブルが置いてある。そういえば父が亡くなって父の体を綺麗にして
もらっている間、このテーブルで待ったものだった。
壁は大きな窓がいくつもあり、窓の外に人通りのない町が見える。

少しの間座り、テーブルにつかまり立ちして部屋に戻った。

この夜から12時前後〔ウトウトする時間帯〕に始まる激痛はなくなった。

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11月26日 手術後4日目

相変わらず、トイレに行くときは海老のように腰を曲げ、ゆっくりとしか歩けない。朝、夕方の抗生物質の点滴、
患部の消毒、1日2回の体温 血圧測定は続いている。

ノートパソコンを持ってきたのでDVDを見た。<バック トゥ ザ フーチャー>と<エディマーフィーの48時間>
午後からは37度3分、微熱が出て体がだるい。

11月27〜29日 手術5日〜7日目

あまり腰を曲げずに歩けるようになってきた。患部の腫れは相変わらずた。高さ4センチくらいはある。
微熱はなくなった。腰に力を入れたり、体を曲げる時は痛いが安静にしている時はほとんど痛まない。
あまり動かず、3食ちゃんと食べているので少し太った。

持ち込んだノートパソコンでメールをチェックする。対応できるお客さんにはメールで対応した。
仕事がかなり溜まっている。2日退院、3日から仕事開始の予定だ。

11月30日
朝糸貫をする。思ったほど痛くはない。切ったあとは細い線のようで綺麗だ。
T医師<もうお風呂にも入ってかまいませんよ。>

看護婦さんの許可を取り、妹の運転する車で1時間ほど自宅に戻った。
カーブを曲がる時、足を突っ張ると患部が痛いのでなるべく曲がらなくても良いコースを通ってもらった。

入院中に入っていた注文についてメーカーさんと電話で打つ合わせ、HPからも注文できるように設定を変えた。
これで3日からの仕事の準備が整った。

12月2日
朝、最後の検診、

T医師<今のところ異常はありません。金玉を方が痛んだり、患部に激痛がでるようでしたらすぐに来て下さい。
なにもなくても1週間後に検診があります。>

私<力を入れるとまだ痛いのですが、どれくらいで気にならなくなるものでしょうか?>

T医師 <個人差があるので何ともいえませんが、3ヶ月くらいは見ておいて下さい。寝ていろとは言いませんが、
      重いものなど持たずにできるだけ安静にしておいた方が良いでしょう。>

手術後、9日目だが、自発痛はほとんどなくなっている。歩くときも腰を曲げなくても歩けるようになっていた
ただ、患部の腫れはまだかなりある。それと貼り付けたような違和感、あとは時間養生のようだ。

看護婦さんの詰め所に行き、お礼を言う。

プレデーター椎名さん〔テイモウの看護婦さん〕が<また来て下さいね〜>冗談を言った。

手術代、入院費、差額ベッド代、薬代、オール込みで支払い125000円



退院後の経過

12月

1週間後検診に行った。

T医師 <患部と金玉の下を触り、特に問題はなさそうですが、痛みはどうですか?>

私 <まだ、立ち座りの時とか腰に力を入れると痛いです。それと違和感は相変わらずですね>

T医師 <少しづつ痛みは取れてくると思いますよ。あとは何か異常があれば来てください>

退院後、午前中はほとんどパソコンでの作業、お昼からは出荷作業、出荷作業と言っても店から送るのは
小物がほとんどだ。大型の商品はメーカー直送なので重量物を持つことはない。
ただ、作業場の土間がコンクリートなので寒い日は暖房を入れていても足元から冷えて来る。
冷えると痛むのでズボンの下に男性用パンストを履いていた。
それでも痛みが引かない時は、携帯カイロを当てると少しましになった。

患部の腫れはまだ残っている。2〜3センチは腫れている。抑えると痛い。

2ヶ月ほど過ぎた頃、ズキズキとする失術前のような痛みが2〜3日続いたので心配になり担当医に相談して
エコーで検査をしてもらった。患部には異常はなく、それからはこんなものだと気にしないようにしました。
ズキズキする痛みは1週間ほどで消えてしまった。

6ヶ月後・・・5月 暖かくなった頃から患部の違和感も少しづつ気にならなくなってきた。

1年後・・・脱腸の痛みはほとんどなくなっていたのでダイエットしようと自転車〔ドロップハンドル ロード〕を購入した。
MY自転車を買ったのは30年ぶりだ。
脱腸が悪化してからは自転車とも遠ざかっていたのだが二十代前半までは自転車で九州や四国、近畿を旅行したものだった。

毎朝1時間ほど走った。数日後から手術した反対側、左半身が痺れるようになった。
2〜3日自転車に乗るのを止めると痺れはとれた。どうも長年脱腸〔右側〕をかばう癖が抜けないので左半身を無理しているようだ。
数ヶ月試したが、自転車に乗ると左半身が痺れるので自転車を諦め、走ることにした。
ジョギングは問題ないようだ。

11年後・・・私は59歳になっていました。
約10年間ほどほとんど痛みも再発せずに過ごしてきましたが、、、今年の冬は違っていました。12月中頃から手術後のようなズキズキする痛み、、、
抑えると痛い、、、

発端はお腹が少し出てきたので屈伸運動、腹筋を2週間ほど続けた後からです。それまでにも腹筋をすると多少痛みが出ることもありましたが、
今回はいきなりの激しい痛み、直ちに腹筋などの運動を止め炎症を起こしているとまずいと思い、好きなお酒も止めひたすら安静にしましたが痛みはひかず、
時々突き上げるようなズキズキ感、仕事の空いた時間はソファで上を向いてあまり動かずにいました。それでもまったく効果無し、、、やばそうだ。

手術の時に医者から聞いた【メッシュを入れる手術はまだ十数年前から始まった手術で術後長期間経過したときどうなるかはっきりしていないことも多いのです。
また極めてまれに炎症を起こされる方もおられます。】の言葉が思い出され心配になる。

12月末手術した医者の病院に行く・・・・浮浪者もどきの先生は銀縁メガネをかけて少し身綺麗になっていた。
やぁ〜久しぶりですね〜〜とニコニコ笑って迎えてくれた。医者の笑顔には安心する。

私・・・痛みが再発して、、、

診察・・・まずは立って患部を手で触っていく、、、これが診察でなければいい年こいた爺の変態カップルだ。
実に長い間(私にはそのけはないので長い時間に感じた)触りまくり、、、
えぇ〜〜異常はないようですが念のためエコーで検査しましょう。エコーの検査でも炎症などの異常は見つからず、痛みどめだけ処方してもらう。

年が明け1ケ月しても痛みはほとんど変わらず、、、ズキズキする痛みにはロキソニンなどの痛みどめは無効、

そこで以前肩が異常に痛んだ時に飲んだ神経痛など良いと言われる漢方薬<麻杏よく甘湯>を飲んでみた。
これが効いたのか2月の終わり頃には痛みはほとんど取れました。これが効いたのなら神経痛だったんだろうか?



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