昭和COM 写真とブログ 素敵な出会い 撮影場所 主に釜ヶ崎付近 撮影日 1973年頃 ヤクザの手打ち式 バイト先の写真館に記念写真というふれこみの出張撮影の依頼があり、私が行くことになった。 場所は古い日本旅館の○玉荘、行くと数人の人相の悪い男たちが私を待っていた。 その中に遠くの星から来たやくざの末松さん(仮名)がいた。 なんや〜写真屋が来る言うとったけど、にいさんが担当か〜いつもより緊張した顔だ。 実は手打ち式があるんでな〜その写真撮ってほしいんや〜でもな〜なんかことがあったらにんさん関係ないんやから逃げてや。 手打ち式なんでしょう? ウ〜〜ンそらまあそうなんやけどな〜 部屋に入ると上座に紋付袴姿の親分とおぼしき両人、真ん中に鯛がある。 その脇には派手な背広のおじさん、幹部かな、下座は特攻服のおにいさんがすでに座っていた。 窓の外の冬の夕方の空は暮れかかり、部屋がいやに暗い、枯れ葉がカラカラなるのが聞こえるほど静かだ。 セコニック 露出計で測るとシャッタースピード1/15 絞り F /5.6しかない。カメラは重量のあるペンタ67、 手持ちを諦めストロボを使用する。 <写っとらんやったら、殺すぞ、写真屋>・・・ 松田○作似の若い衆の声援がかかる。 まずは掛け声と共に2人の親分がドスで鯛を刺す、ピントは鯛の目に合わせた。 1枚目、 次は東の親分を撮って下さい。2枚目、 別のカメラマンが途中まで使用したのを持って来たのでここでフィルムが切れる。次に西の親分を 撮って下さい。 <おんどれのカメラは2枚しか撮れんのか>・・・声援を無視してフィルムを入れ替える。 親分はドスを持ったままカメラを睨んでいる。3枚目、ここで拍手が起きて儀式終了、 本来なら35oで抑えを撮るのだが、この雰囲気では無理。 カメラマンとは不思議な感覚を持っている。 相手が誰であろうと、どんな場所であろうと一旦ファインダー越に見てしまうと光の加減は? フレーミングは? シャッター時に人物の目つぶりはないか?など 別の世界から現実を見ているような、映画のワンシーンを見ているようになる。 戦場などで死体や戦闘シーンを写す方もそんな感覚なんだろう。 はじめて付いた職業とは後に影響するらしく、60才を過ぎた今でも現実を別の世界から見ているような感覚が残っている。 手打ち式が終わり、宴会となる。カラオケ大会、酒が入り、先ほどまでの緊張も解けて大盛り上がりだ。 私はスナップを撮り続けた。 最後になんか余興はないんか? 余興は東の下っ端と西の下っ端でじゃんけんで負けた方がメスになり、オスの○ンポをメスの○の穴に入れるというものであった。 じゃんけんの結果<写っとらんやったら、殺すぞ、写真屋>の松田○作似の若い衆がメス、 <おんどれのカメラは2枚しか撮れんのか>が オスになった。 素っ裸、入れ墨のお兄さんの後背位、写真屋さん、こいつらの故郷にも写真送るさかい、写しといてや〜(大笑い) オスの片足を犬がおしっこをするように上げ、 二人のななめ後ろから挿入部分にピントを合わせる。 <写っとらんやったら、殺すぞ、写真屋>は 痔なのかビラビラが腫れている。 彼は涙ぐみ涎まで流して<にいさん、早ように撮ってや〜>痛いのか気持ちいいのか分からない顔で言った。オスは結構余裕の勃起状態だ。 顔は二人ともカメラの方に向いてもらう。彼らの将来の為、顔に少しぼかしがかかる程度の絞りにした。最後の1枚。終了 写真館に帰ると社長がうどんを食べながら待っていてくれた。 えらい時間かかったな〜 ええ、組の手打ち式で宴会もありましたので〜 そうか組の仕事か〜 わたいも若い頃はよく呼ばれたもんや〜もっともわたいのはHシーンの撮影やったけどな〜ケケケケケッ 数日後写真は出来上がり、評判が良かったのか焼き増しまで来た。 その月いつもより少しだけ給料上がってた。 (この話は掲載中の方とは一切関係ありません)
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